安直な決めつけは好きじゃない

また密かに読者さんが増えたみたい

いったいどこで見つけてくださったのかしら…

ありがとうございます


前回、死に支度について書きました。今日も生死について。


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コロナ渦に入ってから自殺のニュースが多くありました。


飲食店、観光等々の仕事が激減したり、

休園休校で仕事を辞めざるを得なかったりして

困窮の末自殺してしまう方々...

これは政策で救えた命であり、無くさなければいけません。


一方で、外から見れば大成功している

俳優さんの自死のニュースも衝撃であり

人々がどうしても理由を知りたいと思うあまり

報道が加熱しました。


三浦春馬さんも竹内結子さんも神田沙也加さんも

動画サービスの中では今も活躍していて色褪せない。

死んでしまったことが信じられないと感じるし

「なぜ、死んでしまったの?」という問いが沸き起こる。


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経済的な困窮、大切な人の喪失、など

明確な理由がある自死がある。

一方で、村上春樹のノルウェイの森のような、

ただ、そうなっただけ、というような自死もある。

(ノルウェイの森を学生時代に読み

自殺に明確な理由がないと感じたので)


そう思ったのは昨日見たテレビ。児童の自死についてのもの。



児童の自死の原因はいじめなどがありますが

半数は原因がはっきりしないのだそうです。


子供がかかえる孤独感。

それは、友達がいても両親がいても関係なく、

地球に生まれ落ちた、宇宙に生まれ落ちた孤独

なのかもしれないし、

その孤独は本人にしか分からないというもので。


安直に言えば

感受性の強さであったり

純粋さだったり

それに近いものなのかも。


そう思うと、

俳優さんたちが何に苦しんでいたかは

分からないけれど

誰とも共感できない類いの孤独感を抱えて

辛かったのかもしれないと感じました。


人一倍強い感受性を持っているからこそ

表現者として成功されたのだろうと思うので。


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身近な人が自死に直面すれば、回りの人は

「なぜ、助けてあげられなかったのか」と悔やむけれど

その理由が本人にしかわからないものであれば

どうにもできなかった可能性が高いのかもしれません。


「あいつにひどいこと言われたからだ」

という事象を探しだして

それが理由だと決めつければ

関係ない第三者は、何か分からないけど

一種の安堵感のようなものを得ます


その安堵感を得たいという人々の心情につけこんで

報道が加熱するのだと思います


しかしながら、それはとても身勝手な決めつけでしかなく

しょうもない安堵感のために、死者を冒涜しているとさえ思います


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上記番組内で谷川さんは

「現代は意味を求めすぎる」と言われてました


分からないことに直面したとき

恐怖感を感じるけれど

そこで恐怖にかられれば、大きな過ちを犯します

歴史の中で繰り返されてきたように。


原因があること ないこと

解決できること できないこと

理解できること できないこと があるのです。


変な解釈をいれずに、事象をそののまま受け止める


そういう姿勢を失ってはいけないと思いました。