安直な決めつけは好きじゃない
また密かに読者さんが増えたみたい
いったいどこで見つけてくださったのかしら…
ありがとうございます
前回、死に支度について書きました。今日も生死について。
* * *
コロナ渦に入ってから自殺のニュースが多くありました。
飲食店、観光等々の仕事が激減したり、
休園休校で仕事を辞めざるを得なかったりして
困窮の末自殺してしまう方々...
これは政策で救えた命であり、無くさなければいけません。
一方で、外から見れば大成功している
俳優さんの自死のニュースも衝撃であり
人々がどうしても理由を知りたいと思うあまり
報道が加熱しました。
三浦春馬さんも竹内結子さんも神田沙也加さんも
動画サービスの中では今も活躍していて色褪せない。
死んでしまったことが信じられないと感じるし
「なぜ、死んでしまったの?」という問いが沸き起こる。
* * *
経済的な困窮、大切な人の喪失、など
明確な理由がある自死がある。
一方で、村上春樹のノルウェイの森のような、
ただ、そうなっただけ、というような自死もある。
(ノルウェイの森を学生時代に読み
自殺に明確な理由がないと感じたので)
そう思ったのは昨日見たテレビ。児童の自死についてのもの。
児童の自死の原因はいじめなどがありますが
半数は原因がはっきりしないのだそうです。
子供がかかえる孤独感。
それは、友達がいても両親がいても関係なく、
地球に生まれ落ちた、宇宙に生まれ落ちた孤独
なのかもしれないし、
その孤独は本人にしか分からないというもので。
安直に言えば
感受性の強さであったり
純粋さだったり
それに近いものなのかも。
そう思うと、
俳優さんたちが何に苦しんでいたかは
分からないけれど
誰とも共感できない類いの孤独感を抱えて
辛かったのかもしれないと感じました。
人一倍強い感受性を持っているからこそ
表現者として成功されたのだろうと思うので。
* * *
身近な人が自死に直面すれば、回りの人は
「なぜ、助けてあげられなかったのか」と悔やむけれど
その理由が本人にしかわからないものであれば
どうにもできなかった可能性が高いのかもしれません。
「あいつにひどいこと言われたからだ」
という事象を探しだして
それが理由だと決めつければ
関係ない第三者は、何か分からないけど
一種の安堵感のようなものを得ます
その安堵感を得たいという人々の心情につけこんで
報道が加熱するのだと思います
しかしながら、それはとても身勝手な決めつけでしかなく
しょうもない安堵感のために、死者を冒涜しているとさえ思います
* * *
上記番組内で谷川さんは
「現代は意味を求めすぎる」と言われてました
分からないことに直面したとき
恐怖感を感じるけれど
そこで恐怖にかられれば、大きな過ちを犯します
歴史の中で繰り返されてきたように。
原因があること ないこと
解決できること できないこと
理解できること できないこと があるのです。
変な解釈をいれずに、事象をそののまま受け止める
そういう姿勢を失ってはいけないと思いました。
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